赤帽から開業した理由

とりあえずノウハウを得たい

脱サラで軽運送を開業する場合に、私には何のノウハウも運送経験も無かったので、どこか所属組織が欲しいと考えました。

検討していた当時はまだ関東在住だったので、説明会を受けるにも色々な組織の選択肢がありました。
その中から私が赤帽組合を選んだ理由を書きます。

赤帽時代にテレビ取材中に撮影された写真
赤帽時代にテレビ取材中に撮影された写真

各組織の説明会を回る

軽運送開業を斡旋する組織は色々ありまして、特に仙台に戻る前は東京、千葉のエリアで開業相談会に行けましたので、色々な組織の勉強になりました。

自己責任のスタンス

その相談会の中で唯一、勧誘が無く淡々とした説明会だったのが赤帽組合だけでした。(20年以上前になるので、現在の赤帽組合や他の組織の状況は不明です)

やるなら自己責任でと言う赤帽組合の現実的なスタンスが気に入り、スタートを赤帽組合に決めました。

独自調査も怠りなく

それと、当時住んでいた関東エリアの話ですが、街にいる赤帽さんなど、軽運送業者さんの業務中に、私から突然お声がけして突撃インタビューしてました。
それで彼らの実際の業務内容や売上、開業してからの苦労談などヒアリングしてました。

その結果、なんとか出来るような気がして赤帽開業を決めました。
今思えば、何を根拠に出来ると思ったのか?意味不明ですけど、実際に20年以上過ぎた今でも何とかなっているし、幸せな人生を送ってます

仙台の赤帽で再説明を受ける

最初に受けた説明会は東京の赤帽組合でしたが、そこで言われたのは、赤帽組合も地域性があって全国同じでは無いし、仙台は特別変わっているので、決意する前に仙台の赤帽組合で再度説明を受けるように言われました。

東京は自営メイン/仙台は組合メイン

東京で言われた通り、仙台の赤帽組合で説明を聞きました。
業務内容は同じだったので、東京と何が違うのかな?と思っていたのですが、どうやら東京の赤帽組合は各自の自営が基本スタンス。

東京は自営指導

新人赤帽には仕事を一定期間だけ配車するので、その間に自力で自営業者として立ち上がってください。
いつまでも組合の配車(仕事のあっせん)は継きませんスタンスでした。

仙台は組合所属スタイル

それに対して仙台の赤帽組合は、自営推進では無く、赤帽組合の配車(仕事斡旋)受けるスタイルがベテランを含めて基本スタイルでした。

赤帽の新人もベテランも組合から仕事を委託されるのが基本スタンスで、むしろベテランになる程、その経験値から良い仕事にありつけるように思える説明でした。

つまり個人事業として一人でやるのでは無く、赤帽組合のいわば社員(ドライバー)として動くのが仙台の赤帽組合システムのようでした。

赤帽に決めた

私の場合は、自営で独立したかったので違和感があったのですが、仙台の赤帽組合でも私が自営を目指すことに制限は無いと言う事でしたので、安心して仙台の赤帽組合所属で開業する決意となりました。

赤帽で実務研修

当時の仙台の赤帽組合はメイン業務が宅配でした。(おそらく現在は宅配はしてないだろうと思いますが詳細不明です)

赤帽宮城での研修中の様子などはこちらに

宅配実習

開業から最初1ヶ月は宅配オンリーの実務実習でした。
早朝5時に赤帽組合には赤帽車が沢山集まって来て、最初に荷物のエリア単位の仕分けから始まり、8時頃には各自が担当エリアに散って行く。
夜は20時頃まで配達して、不在の荷物は翌日に持ち越し。
その毎日の繰り返しでした。
土日も含めて休み無しで、1ヶ月間の宅配研修を頑張りました。

一ヶ月休み無しは楽勝

サラリーマン時代も仕事中心だった私には、この程度の休日返上や労働時間など屁の河童と楽しく過ごしておりました。

今思えば、ちょっと変だと思いますが、当時の技術者時代の私は、休日も自宅で仕事を出来るように高性能なPCを常に購入して、ソフトウエア開発環境(Cコンパイラーなど)を購入して常に仕事ばかりで、それが当然だと思い込んでましたから過労になるはずです。

技術屋の世間知らずでした

お恥ずかしい話ですが、私はサラリーマン時代は宅配伝票を見た事も無し。
根っからの技術バカでした。

赤帽を開業して業務の都合で生まれて初めて宅配伝票に触れた世間知らずでした。

代金引換で配達した時に、配達先の奥様がクスッと笑っていて、何だろう?と不思議に思った日がありました。

代引は、お金を受け取った証拠に私がサインして来るはずと思ったのが勘違いで笑いを誘ったと配達した後から知りました。

このような技術バカの世間知らずだった私が軽運送業をスタートするには、やはり業界パイオニアの赤帽組合に加入して正解だったわけです。

インターネット活用した1998年

サラリーマン時代の経験から当時まだ東北の赤帽では珍しかった独自のホームページとメールフォームを使った宣伝と商談のシステムを採用しました。

メール商談は、外出先でもリアルタイムに行えるように、iモード携帯を導入して、当時まだパケット代が定額では無かったので、通信料金を気にしながらモバイルギアやポケットPC、Palm、ザウルスなどモバイルデバイスを使って商談しました。

メディアに注目される

その取り組み姿勢が赤帽としては珍しいとメディアに注目されました。

次々とテレビ、ラジオ、全国紙の密着取材を受けるようになり、知名度が上がり、仕事量が増えて来て、いつの間にか赤帽組合の配車を請けないでも食べて行けるようになってました。

リクルート アントレー別冊独立事典
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赤帽情報のブログ記事

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